追悼 水木しげる先生
水木しげる先生がお亡くなりになりました。93歳の大往生でした。
テレビでお元気な姿を拝見するたび、いつでもお会いできると何年も躊躇しているうちに、
とうとうお会いすることかなわず、昨夜は自身の不覚を深く深く恥じました。
数少ない「取り返しのつかないこと」でした。
19歳で初めての一人暮らしを始めたとき、縁もゆかりもない調布の地を選んだのは、
そもそも先生のお導きだったのかもしれません。
猫娘の住む「布田天神」。
鬼太郎も大好きだった、今はなき「踏切の黄色いラーメン屋」。
「深大寺」「神代植物園」「多摩川」「カレーのマンボウ」。
結局故郷の静岡へ帰るまでの10年以上を、調布で過ごしました。
僕にとっては、故郷と同じくらい「水の合う」街でした。
様々な学問をするにつけ、尊敬する先輩や研究者の方々は皆「水木先生」の名を口にされます。
「鬼太郎の作者」ほどの知識しかなかった僕は、あらためて先生の著作を拝見する中で、
いつしか、先生ご自身のとりこになっていきました。
必ず「フライング」するから、常にかけっこは1位。
殴られそうだな、という奴はいきなり「先に殴っておく」。
ぼた餅だと思って食ったら「石」だった。歯がかけた。
朝はゆっくり起きて、朝食はたっぷり食べるから、登校はいつも「2時間目」から。
全校集会では大きな音で「屁をこく」。
教師からも、軍隊の上官からも疎まれ、「南方」へ送られる。
(当時南方へ送られることは「死」と同義だったそうです。)
左腕を吹き飛ばされ、それでも生きて帰った先生の選んだ職業は「漫画家」。
極貧からの夫婦生活は、「ゲゲゲの女房」としてNHKの朝ドラにもなりました。
「戦艦」の話、「慰安婦」の話、「なわピー」の話、「土人」の話
「パイナップルの缶詰」の話、現地の少年「トペトロ」の話、「特殊慰安施設協会」の話、
そして「正義をふりかざす人々」の話。
どんな識者の論説よりも、僕の心に直接響きました。
(赤ちょうちんで、戦争に行った老人達から話を聞くようになったのも、先生のおかげです。
Don't trust under 80.)
先生の名言「人生をいじくり回してはいけない。」は、今でも僕の座右の銘です。
「しないではいられないことを、しつづけなさい。」。
「苦労しなければ、何も得られない」けれども「努力は裏切ると心得よ。」
なによりも「他人の価値観ではない、『自分の楽しさ』を判断基準にしなさい。」
僕が、家庭料理に関するブログを始めたのも、
先生の「妖怪千体説」に、雷で打たれたような衝撃を受けたからです。
先生がいらっしゃらなければ、今の僕はなかった。
あいつは「青竜を探しに西へ旅立った」と笑われても、必ずものにしてみせる。
賢い先輩達と話をすると、もちろん長嶋も猪木も最高だが、
我が国の知の頂点に君臨しているのは、やはり水木先生だろうという話になります。
90歳を超えても、「テキサス・バーガー」や「スタ丼」を召し上がる驚異の身体。
「驚異の記憶力」と「驚異の忘却力」を同時に内在する神秘。
ここだけの話ですが、「水木→長嶋→猪木→」の系譜を継ぐ巨人は、
われらがももいろクローバーZのリーダー「百田夏菜子」しかいないと、僕は本気で思っています。
(今、調べてみたら、水木先生も夏菜子も同じ「戌年」なんですね!)
「この世は仮住まい」とおっしゃっていた先生のこと、
あの世でも、飄々と暮らされていらっしゃるのでしょうね。
シュークリーム、あの世で何個でも召し上がってください。
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「お母ちゃん(奥様)の料理で好きなのは、味噌汁とビーフンとロールキャベツだ!」
武良布枝著『ゲゲゲの食卓』より
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先生は、永遠に僕の憧れです。