節分と鬼とハイボールと
聞いた話である。
我が国に二人の天皇が存在した、史上のタブーとされる時代。
後醍醐帝の、無謀ともいえる進撃により殉死した楠木公を祖とする兄弟がいたという。
楠木公の前半生というのは未だ謎に包まれているが、現在の静岡市清水区「楠」(バイパス「長崎インター」のあたり)の出自だという説や、鎌倉幕府から「悪党」(反体制豪族)と称されてきたことを考え合わせると、駿河との関わりが深い人物だといえまいか。
ともかく。
北朝との戦いに敗れた兄弟は、静岡県焼津市に落ちのびて百姓となった。
勢力の低下した南朝が再起をかけた地が、静岡県浜松市であったことからも、整合性はあるように思える。
家紋は、楠木公が後醍醐帝より賜ったされる「菊水紋」としながら、姓を「×△」と改めたという。(「ふせ字」です。ごめんなさい。)
「×」は後醍醐帝が南朝を建てた地「吉野」を、「△」は楠木公が殉死した「湊川」を指すのだそうだ。
改姓の理由は、北朝勢力からの追跡を免れるためや、そもそも楠木公の前半生が「悪党」と呼ばれる地方豪族だったことを考えると、嫡出ではなかった可能性なども考えられるが、いずれも憶測の域をでない。
南北朝から実に700年近く経つが、この氏族は未だ脈々と累途絶えることなく現代も続いている。
この氏族は「節分」に「豆まき」をしない。
かの兄弟が焼津の地に移り住みはじめたときからの伝統だそうである。
「我らは『鬼』として京を追われた身。我が朋輩を礫にて打ちすえることなどできようか。」
ということらしい。
そう。
わが一族は「鬼」の末裔なのです。
我が家では思いっきり「豆まき」してますけどね。
by ruby0806
| 2013-02-03 17:38